杉本涼太
生年月日 1989年生まれ
資格 柔道整復師
出身校 金光大阪高等学校→行岡整復専門学校 卒
趣味 柔道、スノーボード、バイク、温泉巡り
出身 島本町(当院がある高槻市のお隣)
現在も島本町で妻と二人暮らし(写真は甥っ子です!)
ご挨拶
こんにちは!整体院りょう院長の杉本涼太です!
ホームページをご覧頂きありがとうございます!
整体院りょうは、辛い症状を改善し、何としても健康な身体を手に入れてほしい!という思いで開院しました。
僕の治療に対する想いや経緯を最後まで読んで頂けると嬉しいです!
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バイクに2回、車に2回轢かれ、ムチ打ちや骨折。
学生時代からの柔道で肩の脱臼、靭帯損傷、ギックリ腰など今まで数えきれない程のケガを味わってきました。
大体のケガはコンプリートしたと思います。
そんな環境の僕は自然とこの治療家の道に憧れ、進む事になります。
ここまではよくある話ですが、治療家人生で転機が訪れます。
父の死
僕は中学時代に母子家庭になったため、父とは長い間一緒には住んでなかったのですが、近くにはいたため、ちょこちょこ会うような形でした。
そんな父は仕事一筋で、肥満、酒、タバコ、運動不足で不健康の塊の生活をしていました。
子供の僕に仕事の話しばっかりするので、つまんねーっと思いながら「そんなんええから、タバコ辞めて運動しいや」なんてよく言っていました。
しかし、社会人として接骨院で勤めるようになりほとんど会わなくなりました。
接骨院というのは、全ての院がという訳ではないですが、週6勤務、朝8時代〜夜9時頃長い所は11時位まで働く所もあります。
僕の所は少しマシでしたが、そういう環境下で働いていたため、趣味の柔道や友達と遊ぶ時間を何とか捻出しておりましたが、その分父と会う選択肢が、自分の中でなくなっていきました(我ながら冷たかったと思います)
そんなこんなで、社会人3年目25歳になった時。
急に父の友達から連絡があり、
「りょうた君のお父さんと全然連絡が取れへんねや!様子見に行ってくれへんか?」
と言われ、父の家に行くと、
部屋で父が一人で亡くなっていました。
死後何日か経過しており一目で分かるくらいでした。
後でわかりますが、死因は不摂生からくる肝不全との事。
頭が真っ白になりました。
でも、そこでは不思議と涙は出ず、すぐに冷静になり、警察と家族に連絡し、死亡届けや事件性の有無など、諸々淡々とこなし、お葬式の喪主を終えて、火葬場に行く前の最後のお別れの時に、涙がボロボロ出てきました。
なんでもう少し父と会う時間をとろうとしなかったのだろう?
不健康の生活の塊の父に、健康に関する仕事をしている僕なら、もっと何かできたんじゃないか?
色々考えがよぎりました。
今でこそ僕は仕事が大好きで、技術の向上に時間もお金もかけまくっていますが、当時の僕はその日の仕事をこなすだけで手一杯。
終わってからましてや父の仕事の話しなど全く興味がなかったですが、今なら父の凄さがわかるし、仕事の話し合いを楽しくできるだろうし、生きている間に「親父の仕事すげーな」って、ちゃんと言葉で伝えたかったです。
決意
それがきっかけになり僕の価値観が大きく変わり、健康と時間の余裕が大切だと心から思いました。
その想いを胸に、さらに4年の修行を経て、
29歳の時に独立開業。
それまで当時勤めていた院には、しばらくの間、週に一度特別休暇をもらい、外部の治療セミナーで勉強する時間ができました!そこで、松栄先生 と vim療法 に出会います。
その時に関わって方達には、とても感謝しております!
健康と時間の大切さ
こんなデータがあります。
1日15分の軽い運動で寿命が3年伸びる
”1日15分”は、365日に換算すると「5475分=91時間=3.8日」
つまり、年間約4日分の投資で、3年(1095日)のリターンが得られます。
なんと、約250倍!
しかも、健康とともにです!
整体院りょうでは、治療で身体を良くするのは当然として、それ以上に、
健康でいつまでも若々しく、人生を楽しんでもらう事に重きを置いています。
大切な人達のためにずっと健康でいてほしい、
もし子供のいる方なら、なるべく長く元気でいて、親孝行が出来るチャンスをいっぱいあげてほしいです。